品目紹介
昭和の初期ぐらいまで、金沢でなすといえばヘタ紫なすでした。
そのヘタ紫なすが、中長なすに押されて生産量が減り
再び脚光を浴びるようになったのは加賀野菜に認定された平成9年以降のこと。
その間も毎年作り続けた農の匠の栽培の歴史は、ヘタ紫なすの歴史でもあります。
金沢のなすといえば、ヘタ紫なすがあたりまえだった昭和の初期に、山本さんは農業を始めました。当時、なすがたくさんつくられていたのは、米丸という地区。今では住宅が立ち並ぶ場所ですが、肥沃な土壌でなす以外にもさまざまな種類の野菜を作っていたそうです。 ただ、米丸地区では、猛暑になると暑さでなすが持たないということがあり、今の産地でもある崎浦地区に白羽の矢が立ちました。当時、加賀野菜の生みの親でもある、松下種苗店の松下社長に頼まれて、種を採っていたことがきっかけだったようです。川のほとりで朝もやが立ち、夕方になると西から涼しい風が吹く崎浦。小立野台地と寺町台地、ふたつの火山灰土の高台に挟まれたこの場所は、砂利や粘土が流れ込み、弱酸性の土壌になっていました。 「ねぎなんかは弱アルカリの土のほうがいいけれど、なすは弱酸性の土のほうがいいんや。なんでかわからんけど、ナス科のものは、弱酸性でよう育つ」。山本さんの言葉を裏付けるように、崎浦地区はヘタ紫なすの産地として、一目置かれるようになりました。加賀野菜が認定される、何十年も前のことです。
暑さに弱い上に、ヘタ紫なすは、寒さも苦手でした。病気にも弱いので、金沢のなすは、徐々にF1の中長なすが中心になっていきます。 「ヘタ紫なすは、作るのが難しいんや。皮が薄くてたくさん成るけれど、葉と葉の間隔がせまく、びっしり茂る。葉の蔭がある程度の日陰を作るので涼しくはなるけれど、日にあたらんといい色にならないし、カサカサしてくるもんで。葉をむしるのが手間やわね」。山本さんは、毎日のように畑に出向き、日あたりや風通しを考えながら、葉を一枚ずつ摘んでいます。水を与えるタイミングも難しく、夕方の4時~5時の間に、浅くした畝の間に流すようにしているそうです。「もうちょっと足らんかな?ぐらいがちょうどいい」。 「植物は、気象条件で全然違う。基本的なことは本に書いているし専門書もたくさん読んだ。講習会も欠かさんと通ったもんや。それでも、やっぱり失敗するし、毎年“こうすればよかった”と気づくことばっかりや。花が咲いて21日したら収穫するけれど、葉を採ると25日かかる。収穫日はずれるけれど、節の長さが短くなって収穫しやすい。あ、そうそう。以前は75cm間隔に植えていたのを50cm間隔にしたんや。その分剪定をしっかりやったら、いいがになった」。毎年、5本ほど実験木を作り、研究しているという山本さん。栽培歴60年を超える農の匠でも、試行錯誤の連続だそうです。
「伝統野菜は、種を採るのが一番大事や」という山本さん。元気のいい木を選び、1本の木にひとつずつ、形のいいものを選び、種を採る実を決めています。そして、正月頃に種を播いて接ぎ木に。そのとき、ガクの伸び方を見て、いいものは赤い紐を結んで印をつける。そうやって、いいものを選びながら何年も何年も種を守り続けてきました。 その作業を何年も突き詰めていくと、年を経るごとにいいなすができるのかと思えば、そうではないそうです。「代々の性質を守って保存していくのが精いっぱい」だと。 「中長なすは、欠点のない素直な味や。ヘタ紫は、2日目の味が違う。煮物にして、残しとったんを翌朝食べると、なんともいえんコクがあってな。何かの成分が含まれていると思うんや。これを欠点ではなく活かせる料理を作ってくれたらええんやが…」。 ヘタ紫なすを守り、次の世代に伝え続けるための、山本さんの研究と試行錯誤は、これからも続きます。
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