品目紹介

打木赤皮甘栗かぼちゃ
西野 勲さん

『形がよくて色が良くて…選んで種を採るのは
自分の好きなかぼちゃやね。』

赤くて丸くて、つんとしたツノが愛らしいかぼちゃ。
西野さんは、この色と形を代々つないできました。
「ただ、つくっとるだけや」というけれど、その言葉の裏には
名人の「手」と「目」が関わってきた歴史があるのです。

誰も作っていなくて 何度もやめようと思った

かぼちゃ農家に婿入りしたのが、20歳過ぎ。本業はバスの運転士だったという西野さんは、定年まで、仕事をしながらかぼちゃを作り続けてきました。先代から引き継いだかぼちゃ畑は、今では1000坪。すべて打木赤皮甘栗かぼちゃです。 「昔はけっこうみんな作とったけど、このあたりにスイカが入ってきて…このかぼちゃ、当時は安かったからね…露地で作っとるんは、今ではうちともう1軒だけや」。  その頃は、加賀野菜に認定されるずっと前。自分で商品名のシールや出荷用の箱を作って市場に持って行ったという西野さん。 「誰も作っとらんかぼちゃやし、恥ずかしーてね。市場にそーっと置いてきたわ。毎年、“あぁ、これでやめよう。種採りやめるか”て思うとった。」 「もう本当にやめようと思ったとき、農協の人が“やめるな”と言ってくれて、市場に出荷できる組織、部会を作ってくれたんや」。あと1年それが遅かったら、打木赤皮甘栗かぼちゃは、途絶えていたかもしれません。 今では加賀野菜としてブランド化されているけれど、西野さんには何の気負いもありません。「昔となーんも変わらん。ただ、作っとるだけや」。

赤く、丸く作るために 変わらないこと、変えること

かぼちゃが植えられている畑は、海岸線にほど近い砂地です。「このかぼちゃが、この土地に合うのんじゃないかな。水がたまらんから、病気になりにくいね。以前は北海道から九州まで、全国から種を分けてほしいと来たけれど、どこも作っとらんみたいや」。 種をまくのは、3月5日から。生産者の間で何十年と決まっている習慣だそうです。ガラスハウスの中で1ヶ月ぐらい育てて畑へ。トンネルのように周りを囲う形で苗を植えます。1か月後、そのトンネルをはずし、つるを巻くためのネットを準備します。そうしてやると、かぼちゃのほうで勝手にうまく巻き付くという西野さん。自分で巻き付いたつるで砂地にふんばるため、台風がきてもびくともしないそうです。ただ、つるが伸びてくるとこんもりと密になりすぎてしまうので、風通しをよくするために、様子を見ながら伸ばしてやらなければいけません。適度に花をつけるためには、葉5~6枚ごとに芯止めをして枝分かれをさせる必要もあります。 実が付くと、小さいうちから下に「皿」と呼ばれるマットを敷いていきます。すべての実に、一枚ずつ。もちろん手作業です。皿には凹凸がついていて、光や風が実の横や下側にもあたるようになるのだとか。 「風があたらんと病気になりやすいし、日があたらん部分があると、そこだけ黄ない(黄色い)まんまや。昔は黄なーいものもあったんやけどな」。赤く丸いかぼちゃにするためには、子どもをやさしく布団に寝かせるような、愛情こもった世話が必要なのです。

いいものを残すには どの種を採るかが大事

収穫時期の目安は、ツルがカラカラに硬くなったころ。西野さんは、その硬いツルを、どこにでもある園芸用のはさみで一気に切ります。これもやっぱりひとつずつ。ツルの乾燥具合や硬さを見極めながら。“この大きさになったから”“赤くなったら”という基準ではありません。小さくても熟しているのもあるし、黄色いまま熟してそれ以上赤くならないものもあるからです。 畑の一角には、収穫せず、種を採るために完熟させているかぼちゃがありました。「種採り用は、自分の好きなかぼちゃを選ぶんや。ツノがキュッと上がっていて、色がきれいなものやね。大きさは適度なもの。大きいものを選ぶと年々大きくなって良うない」。 自然のものなので、ときどき突然変異のような、先祖がえりのようなものができることもあり、それをまた元に戻すには、数年のサイクルがかかるそうです。 「赤くて丸くてツノがつんとした」打木赤皮甘栗かぼちゃ。この基準は、西野さんの「好き」から生まれ、今の姿は、ある意味西野さんが守ってきたものなのかもしれません。

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