品目紹介

加賀つるまめ
村島嘉孝さん

『風通しよく、日あたりをよく。
自然のもんやけど、世話してやらんといかん。』

昔から金沢の食卓でなじみのあったものですが
それほど多く作られていたわけではありません。
毎年種を採り、「食べる分だけ」作っていたものが、
徐々に流通してきた背景には、作り手の思いがありました。

別名がいろいろ 仲間も各地に

「このへんでは昔から“加賀”がついていなくて“つるまめ”というとった。」村島さんの家は、金沢市街地から、車で約10分。住宅地の少し奥まったところ。畑もそこからほど近い、大乗寺山と呼ばれる丘陵を背にしたところにあります。 露地栽培に取り組んだのは、平成6年から。とはいうものの、父の代から“つるまめ”の栽培はしていたそうです。「栽培といっても、うちで食べるだけぐらいや」。 加賀つるまめは、金沢で作られてきたものですが、日本を見渡せばいろいろな場所で栽培されている野菜です。「フジマメ」「三度豆」など、地域によって呼び方は変わりますが、同じ仲間。金沢の南に位置する小松地区でも栽培は盛んです。金沢のつるまめが「白花」と呼ばれるのに対し、小松の品種は「赤花」といい、筋のところが褐色がかっているのが特徴です。 なかには「だら豆」と親しみを込めて呼ぶ人もいます。“だら”とは、石川県の方言で“バカ”とか“ぼんくら”という意味。たくさん“だらほど成る”から、とか“だらでも作れる”からとか、少し不名誉な呼び方は、各家庭で作られ、家族だけでは食べきれなほど一度に成るといったことの表れでしょう。

“だら”ではできない 加賀つるまめ

種をまくのはお彼岸の頃。温かくなったのを見計らってポットに3つ播きます。畑に植えるのは、それから1ヶ月ほどあとの5月の連休あたり。山を背にしていることもあり、4月でも冷え込むと冷たい霧が発生します。加賀つるまめは、暑さには強いけれど、寒さにはめっぽう弱いのです。 畑に植えるときには、つるを巻き付ける支柱も一緒に立てます。間隔は35cm。村島さんがいろいろ試行錯誤をして、たどりついた植え方です。ほうっておくとつるが伸び、支柱に巻き付いていくのですが、元気に育ちすぎて隣の支柱に巻き付いたり、うまく巻き付けずにいたりするものが出てくるのは、自然の摂理。また、風が吹くとつるがはずれて倒れたりすることもあり、そうなると成長が遅くなってしまいます。だから、村島さんは、しょっちゅう見て回って、つるが巻き付くべきところに誘導してやるそうです。また、細いつるが伸びすぎると、花を咲かせなくなってしまうので、1本ずつ手で取り除くことも。 「成長したらいいってもんでもない。伸びすぎると風通しも悪くなるし、日もあたらんようになる。虫もつきやすくなるしな」。畑では、花が終わり、ちょうど実が大きくなり始めるころでした。村島さんは、重なっている葉を一枚一枚ちぎって、光や風があたるよう気を配っています。 どの葉をとれば風が通るか、日があたるのか。成長することも見極めながら、つるや葉の世話をする…“だら”では決してできないことです。

種を守り作り継ぐ 産地としての誇り

在来種でもある加賀つるまめは、毎年種を採っています。市場に出すのは、薄くてやわらかいもの。まだ若いうちに収穫したものなのですが、種を採るのは、ぷっくりと中の豆が大きく育ったものです。なかでも5~6粒入っているものがベストだそうで、そういう豆を選んで種に残しています。 「毎年毎年大きいものを選んで種にしていても、年々大きくなるようなことはない。だいたい同じような大きさになるわ。自然のもんやから、そう変わらんのやろ」と言いながら、「ええもんを作るためには、種が大事」だと。 ええもんとは?という問いには「大きくて傷がなくて色のいいもの。傷と色は、風とか日あたりの影響が大きいね」。 種を守ることと同時に、世話をしてやること。加賀つるまめが、家庭で作るものから加賀野菜のひとつとして高い人気を得るようになったのは、村島さんたち生産者のみなさんが毎年毎年続けてきた、「守り継ぐこと」の積み重ねなのかもしれません。

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