“いいね金沢”加賀野菜

加賀野菜〜産地からのストーリー〜

金沢一本太ねぎ・松下 直武さん

松下 直武さん

『やわらかくて倒れやすくて手間もかかる
でも、それがこのねぎの良さや。』

大正時代、長野県からやってきた金沢一本太ねぎ。
やわらかく甘みがあり「金沢根深」とも呼ばれ一世を風靡しますが
昭和40年以降、つくりやすい品種が入ってきて生産数が減ってきました。
そんななかでも農の匠は、今でも金沢の伝統的な味と種を守り続けています。


やわらかい分
作るのが難しい

 学校を卒業後、すぐに農業を始め、栽培歴60年という松下さん。父の代から、ずっとねぎを作り続けているそうです。
「そのころ、ここらへんでは、ねぎと言えば金沢ねぎやった。でも、売れるようになったんは、昭和34~35年ごろかなぁ。それまでは、うどんにいれるとか、鍋に入れるとか…そんなんやったけど、肉を食べるようになって、ねぎが売れるようになったね」。
 その後、金長ねぎという硬めの品種が登場し、徐々に勢力を増していきます。やわらかさが売りの金沢一本太ねぎは、その分風に弱く、倒れやすいので手間がかかるのです。
 作りやすい金長ねぎが主流になってからも、松下さんは毎年種を採り続け、金沢一本太ねぎを作り続けてきました。
「自分でいいなと思うもの…やわらかくて分けつしないものを選んで種を採って。やわらかいから、風が吹いたら倒れやすい。支柱を作って支えてやらないかん。目方も軽いから、重さで取引すると不利やわな。それに、ほかのねぎに比べて分けつしやすいんや。分けつしたら、細―いもんになってしもうて…難しいから、若い人は作りたがらんけど、それがこの金沢ねぎの良さやからね」。


代々の種を守り継ぎ
やわらかく白いねぎに

 今でこそ松下さんの畑のまわりは住宅街になっていますが、昔は見渡す限り畑、竹林もそばにあったそうです。黒墨の火山灰土でミネラルが多く、このあたりで育った野菜は今でもおいしいと言われています。「このねぎは、このあたりじゃないとうまく育たんて言われとるからね」
 毎年毎年、いいものを選りすぐって種を採り、冷蔵庫に保管。翌年4月に種を播きます。定植は6~7月頃。ふつうのねぎは4本植えですが、太く育てる金沢一本太ねぎは、3本植えがスタンダードだそう。
 市場に出荷するものは、白い部分が30㎝と決まっています。白い部分は「土寄せ」という作業で土を盛り地中で育てるので、植えたときに棒を立て長さの目安にします。ただ、この土寄せも芯の部分にかかると成長を妨げるので、3回に分けて。成長具合や台風や雨の予報をみながら時期を決めるそうです。
 風に倒れないように、弓と呼ばれる支えを作り、大事に大事に育てます。収穫は10月。次の種にするものを選び、来年につなげます。こうして、白くやわらかい金沢一本太ねぎが、代々守り継がれていくのです。


大事なのは種と土。
この場所で作ること。

 「大事なのは、種と土や」。金沢一本太ねぎの栽培で一番大切のものを聞くと、松下さんはそう答えました。
「50年前に比べて、硬うなっているような感じやね。昔は、つまんだらくっつくようなやわらかさやったけど。長い間に少しずつほかのねぎと交配しているかもしれんと思うて、2~3年前に先祖の松本ねぎとかけあわせてみた。種の採り方も、生産者それぞれが個人でやっているのを統一しようと試みてみたんや」。 そうやって在来種の特徴をきちんと受け継ぐことに力を注いでいる松下さん。
 ミネラル豊富な土に恵まれた畑では、ねぎ以外に20品目以上のものを作っています。ねぎは連作障害があるので、ほかの作物と組み合わせながら。多品目な分、いつ苗を植えるか収穫時期はいつか?などのスケジュールを立てるのが大変そうですが、「ずーっと畑をやってたから、慣れとるよ」と。
 新しい野菜にもチャレンジすることも増えてきたという松下さんですが、金沢一本太ねぎだけは、ずっと作り続けていくそうです。